【 曽根K吾さん/大学生:20才 】
●僕はいま、地元の神奈川の大学に通っています。最近、両親から 「将来、どんな仕事に就くんだ?」と、よくきかれます。というのも、僕はまだ自分のやりたい仕事について、はっきりとしていないからです。でもそんなとき、僕が思い出すのは、おじいちゃんがくれた不思議な人形のことです。 ●父の実家は埼玉県で、今でいう『さいたま市』ですが、僕が生まれた頃は『岩槻市』でした。人形の町として有名なだけあって、おじいちゃんの家も代々人形作りの職人をしています。ただ、唯一の男子である父は、跡を継がずに機械系の企業に就職しました。毎年おじいちゃんの家に遊びに行くたびに、 「うちもわしの代で終わりか…」と、おじいちゃんは言っていました。 ●そんなおじいちゃんと、僕はある約束をしています。それは僕が成人になるまで、毎年五月五日にはおじいちゃん家で一緒に写真を撮るということです。そしてそのときには決まって人形を持って撮るのです。その人形とは、おじいちゃんが僕のために作ってくれた「金太郎」に似せた五月人形です。その習慣は、僕が一歳の時から始まっていて、今年でとうとう20回目となりました。 ●小さい頃から僕は、五月五日が楽しみでした。優しいおじいちゃんと一緒に菖蒲湯に入ったり、おばあちゃんが作った柏餅を食べたりして過ごしたからです。ただ、僕はあることに気づき始めていました。 それはあの「金太郎」人形のことでした。おじいちゃんは人形を僕にくれたとはいえ、ふだん会えない僕の代わりに自分の部屋に大事に飾っていたのです。僕が「持って帰る」とダダをこねても、決して持ち帰らせてはくれませんでした。その「金太郎」人形に、ある日僕は不思議な違和感を感じたことがありました。 ●毎年撮り続けたおじいちゃんとの写真を、部屋で並べて見ていたときのことです。当時僕は十六歳でした。僕の年齢と共に徐々に古くなっていく「金太郎」人形が、どこか変に見えたのです。よく観察してみようと、一歳のときと十六歳のときの写真を見比べました。するとはっきり分かったのです。一歳のときに比べて「金太郎」人形の髪の毛が、10cm以上も伸びていたことに。僕はそのことを両親に話しました。すると父も母も「確かに伸びているように見える」と不思議がっていました。 ●翌年の五月五日。僕はおじいちゃんに髪の毛のことをきいてみました。するとおじいちゃんは、いつものように部屋から「金太郎」人形を出してきて、優しく撫でながら言いました。 「そうかぁ、この人形もおまえと一緒に成長してるんだなぁ」と。僕は、 「でも、そんなことあるわけないじゃない」と言うと、おじいちゃんは教えてくれました。 「いいや、あるんだよ、こうして気持ちを込めて作り上げた人形には、命さえも宿るんだよ。だからこそ、わしは子どもたちの一生懸命に作っているんだよ」と。 その後、父と母と僕は、人形の髪の毛の生え際や、接着部分を何度も調べてみました。それなりに知識のある父も 「どう見ても、作ったあとに手を加えた形跡はない」と、判断していました。 ●僕と共に20年の歳を経て、すっかり古くなってしまった「金太郎」人形は、いま僕の手元にあります。おじいちゃんが「成人の証に持っていなさい」とくれたのです。そのおじいちゃんは「もうそろそろ職人を引退しようか」などと言っています。いまだに将来の仕事が見つけられない僕と比べて、おじいちゃんの『人形職人』としての一生は、とても素敵な人生のように思えるようになりました。 .
【 ダーク・アサクサの見解 】
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イラスト:青木青一郎