【 宇野Tさん/自由業:44才 】
●カッパのような顔をしたK君が、僕のクラスに転校してきたのは小学五年生のときだった。どこの学校からきたのか、転校の理由がなんだったのか、僕はまったく知らなかった。ただ、越してきた家が近所だったため、僕らは毎日登下校をともにすることになった。K君はとても明るい子で、学校へ行く道々では「カックラキン音頭」や、ちあきなおみの「喝采」などをよく歌っていた。 ●K君は弟と妹がいる三人兄弟だった。弟と妹はそっくりな顔をしていたのに対して、K君は二人とほとんど似ていなかった。ある日、うちの母親が誰かから聞いてきたらしく、 「K君は、お母さんや弟妹たちとは血がつながっていないそうだ」と言っていた。どうやらお父さんが当時のお母さんと再婚して、引っ越してきたらしいが、K君自身はあまり以前の話はしなかった。 ●放課後も、僕らはよく遊ぶようになった。帰り道に二人でヤマザキパンに寄って、買い食いをした。K君はショートケーキやジャムを塗ったコッペパンを二つずつ頼んで、貧乏な僕にいつもおごってくれた。僕が生クリームを食べたのは、そのときが初めてだった。ときどき、ボウリング場へも行った。これもK君のおごりだった。 となりのレーンでゲームをしている大人たちが、 「君たち、子どもだけでここに来ているの?」と聞いてくると、K君は 「ぼく、父ちゃんと新聞配達してるから、お小遣いをたくさんもらってるんだ」と答えた。 すると大人たちは 「へぇ~、新聞配達してるのかぁ。小さいのに偉いな!」と誉めてくれた。K君は照れ笑いを浮かべたが、なぜか僕までも誉められた気がして嬉しかったことを覚えている。 ●K君のおごりでの買い食いで、とても印象に残っているエピソードがある。いつものようにヤマザキパンでケーキを買ってお金を払うとき、店員のお姉さんがビックリしたように、こう言ったのだ。 「ぼく! このお金で買うの? これ使っちゃっていいの?」 「うん、それ使ってもいいの」とK君はきっぱり答えていた。『これ』というのは、東京オリンピックに発行された100円の記念硬貨だったのだ。店員のお姉さんはK君に確認するとニコニコ笑いながら、 「じゃぁ、おばちゃんがさ、この100円玉と普通の100円玉と交換してさ、もらっちゃってもいいよね?」と言って、自分の財布の中にしまいこんだ、という記憶だ。僕は子どもながらに、なぜかイヤな予感めいたものを感じた。 ●マンモス校だった僕ら小学校。六年生に進級すると、K君とは別々のクラスになってしまった。登下校もやがては同じクラスメイトとするようになった。それから間もなく、K君が突然どこかに引っ越していったと母から聞かされた。しかも、引っ越していったのは、K君とお父さんだけだという。僕はちょっぴり寂しかった。 「どうして何も言わずにいっちゃったんだろう…」 少し裏切られたような気持ちになった。そんな僕に母は容赦なくとどめを刺した。 「K君とK君のお父さんはドロボウだったんだって…。捕まりそうになったんで、どこかに逃げちゃったらしよ」 僕は、母が告げたいきなりの言葉に衝撃を受けた。母が説明するには、K君親子は新聞配達をしながら、留守の家に忍び込んでお金を盗んでいたのだという。昔の家屋では便所には小さな窓があって、小学生くらいの子どもなら大人が肩車をすれば、その小さな窓から簡単に侵入できたのだと。僕は便所の窓に父親から入るように命令されていたK君のことを思い浮かべて、気の毒で涙が出そうになった。 ●大人になった僕は、何かのきっかけで東京オリンピックの記念100円硬貨を見ることがある。僕はそのたびに、K君が僕に買ってくれた『ショートケーキやジャムを塗ったコッペパン』を思い出してしまう。 .
【 ダーク・アサクサの見解 】
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イラスト:青木青一郎